温泉以外日記:ページ16


2005/03/21 宮沢賢治
いい色と出会う前は、宮沢賢治の作品と言えば 「銀河鉄道の夜」 「風の又三郎」 「セロひきのゴーシュ」 「注文の多い料理店」 「雨ニモマケズ」 ぐらいしか知らなくて、とりわけ 「雨ニモマケズ」 は小学校時代に学校の先生が説教タイムの引用として「雨ニモマケズ」から「イツモシヅカニワラツテヰル」までしか紹介しなかったので、 戦時中の思想教育的うるさ型人物という印象を持っていたのだけど、 「サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ」という締めの一文を知って印象大逆転。 そして今回、宮沢賢治記念館やイーハトーブ館、童話村をめぐり、彼の生き様を少し詳しく知るにつれ「こういう者に私はなりたい」と思うのでありました。

雨ニモマケズ」はそれが書かれた手帳のレプリカもあり、校正した跡が生々しい直筆のコピーも見たのだけど 「日照りの時は涙を流し」と思っていた部分は「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」と記されていました。
単に誤字かもしれないけど、他に修正した跡が多数あるのにこれだけが見落とされていたとも思いにくいので、多分「ヒドリ」なんでしょうけど「ヒドリ」って何? 「日取り」じゃ前にもう一つ「○○の」という文節がないと意味通じないし、「肥取り」(肥料取り、肥汲み)でしょうか? 肥を汲む時の強烈なアンモニア臭で涙を流したとすれば一応意味も通じますが・・・
続く「サムサノナツハオロオロアルキ」の文と対を成すと考えると「日照り」なのかなと思いますが、 「日照り」だと自然に対する人間の無力さを表した2行であり、「肥取り」でも農業の過酷さや辛さを表した2行となり、 詩全体として見るとどちらであっても正解の様に思えます。
以前から変だなと思っていた1日に食べる量は直筆コピーでも「玄米四合」でした。副食は「味噌と少しの野菜」だったとしても、1日に4合とは多すぎる気がします。 2人分だとすれば適量かと思いますが、真意はどうだったのかな。できることなら本人に直接聞いてみたい。

にしても、文学だけでなく農学、天文学、数学、地質学、語学、化学、生物学、物理学、等々、様々な分野の学問に精通してたことには驚嘆。 これだけ勉強する時間がどこにあったのかホント不思議です。
絵画も作曲もして、さらに仕事もこなして、寝る時間はどれぐらいだったのでしょう。そりゃ身体も壊しまっせ。かなり生き急いだ感がありますね。 もっと普通のペースで長生きしてくれていたらもっと素晴らしい功績を残せただろうなと思うと残念でなりません。

今回、今まで知らなかった作品にも出会え、もっと早くに宮沢賢治を知っていたらと後悔しきりです。 それもこれも「雨ニモマケズ」の全文を教えなかった小学校教育に問題があると思いつつ、 この熱がさめない内に早く出張を終わらせて、家にある全集を読破するぞ。

全然関係ないけど、婚約発表予定日に中越地震。延期後の予定日には親戚が亡くなる。 発表したらスマトラ沖地震と続いたので、冗談で結納の日もどこかで地震あるでと思っていたら福岡県西方沖地震・・・
こんなに続くと八百万の神が本当に居て、総力を上げて結婚に反対しているんじゃないかと思ってしまう。
結婚式当日には一体何が起こるのか、あれやこれやと想像してしまってホントに心配です。
宗教にさえ数学的解釈を見出していた宮沢賢治ならば、この偶然とは思えない関連に何か真理を見出してくれるのでしょうか・・・