2005/04/17 「雨ニモマケズ」の「ヒドリ」 |
1ヶ月前に「ヒドリ」って何?って書いたと思ったら、タイミング良く「宮沢賢治学会 イーハトーブセンター会報 30号」に、この件についての投稿が掲載されてました。
これによると「ヒドリ」とは「日傭いかせぎ」を指す方言であるという説は誤りである。学問的には「ヒドリ」は「ヒデリ」の誤記であると決着がついていて、議論の余地はない。原文通り「ヒドリ」に直せという意見は「暴論」で情けない限り・・・だそうだ。
学会の会報に掲載されるほどの投稿だし、そもそも編集委員会から投稿依頼がある程の人(「顧問」という肩書きは「宮沢賢治学会」の顧問なのかな?)なので、宮沢賢治研究家として有名な人でしょうけど、
展開されている「確かな根拠」はどれもこれも説得力に欠け、私のように宮沢賢治に興味を持ち始めたばかりの素人には到底納得できるものではありませんでした。
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根拠1:「日傭い」では前後と文脈的につながらない。
文脈と言うならこの詩の最終ブロックの書き出しである「ヒドリ」は「日傭い」でも十分だし、
次の「寒さの夏」に繋がらないと言うなら、その次の「皆にでくのぼーと呼ばれ」なんて全く繋がりも何もありません。
だいたい何故「寒い夏」でないのか、「サムサ」は「寒さ」なのか、他の意味はないのか、から説明しないと
「文脈的につながらない」とした理由を伝えられないはずなのに、「つながらない」と言い放つのみで説明は一言もありません。
詩の文学的解釈はわからないけど、日本語としての意味は通るのだから、何がしかの解説があってしかるべきでしょう。
根拠2:別作品中にひでり(旱魃)は農民が困ることとして扱っている
別作品中なんですよね。それも「ひでり」と明記された文としてですね。
それがいくつもあると言っても「ヒドリ」と記された「雨ニモマケズ」もそうであるという根拠にはなりません。
根拠3:「旱魃」にルビをふろうとして「ひど」まで書いて「ど」を消して「でり」と書いたことがある。
このエピソードは「宮沢賢治は旱魃のことをヒドリと書き間違えたからヒデリと修正した」のであるから、ヒドリのまま修正されていないのであれば、
それは「ヒドリ」であることを意味するエピソードであるとも十分考えられるので、これまた根拠になりません。
根拠4:ひでりにけがち(飢饉)なしという諺があるとしてもそれは日照のことで旱魃のことではない
この諺は現代では「旱魃に飢饉なし」と表現されているように、文字通り「旱魃」なのでしょう。
一言で「旱魃」と言っても程度の問題もありますので、旱魃だから豊作だとも思いませんし、涙を流す程のヒドイ旱魃もあったでしょうけど、
農作物に日照が必要なのは小学生でも知っている常識なので、わざわざ諺になるとも思いにくく、ここでの「ひでり」は旱魃のことと取るのが普通の感覚だと思います。
自説の正当性を補足するためにあえて曲解しては根拠どころか単に「ご都合主義」です。
等々、議論の余地さえない文学的事実なのであれば、素人にも解るように教えてください。
「日傭いが書き手のその時の意識には浮かんでもいなかったこと」である具体的な証拠を示してください。
そうでなければ「個人的な主張」の域を出ず、学問的結論がでていることの説明にはまるでなっていません。
投稿文全体から受ける印象も高圧的で「自説に間違いはないのだから反論するな」という論調には辟易します。
「皆にデクノボーと呼ばれ、苦にもされず、誉められもしない者になりたい」と願っていた宮沢賢治は草葉の陰で悲しんでいるのでは?
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